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「父上は空をご覧になることがなくなりましたね。」
そうだったかと言えば私の前では呆けたふりはしなくて結構ですよと皮肉を言われた。この息子も言うようになった。
「私が小さい頃は、あれが天狼星だとか、一年中北を指し続ける星の話だとか、いろいろ教えて下さったじゃありませんか。」
そういえばそうだったかと言えば、今度は少しさびしそうな顔で息子は笑うばかりだった。
本当に呆けてしまったのかもしれない、空に見える星の数は昔よりずっと少なく見えたし、何がどれだったか思い出すことができなかった。
どうしてだろうと空の端から端を眺めると、そうだ標がなくなったのだと気づいた。
私は星を見るときに、一つの星を中心に、他の星がどこにあるか把握していたのだけれど、その星はもう落ちてしまったので私はほとんど星を見ることが出来なくなってしまっていたのだ。
困ったことにそれは私にとって北を指し続ける道しるべのあの星よりずっと大事で、たとえ正しい方角へ進めなくともその星を追いかけて追いかけて見知らぬ土地で息絶えるのならそれはそれでいいとも思っていたのに、その星は瞬きするほどの速さで流れて消えて、広い荒野に私はひとり、取り残されてしまった。
もうすぐ冬が来る、そんな日に私は行く当てを失くし、仕方なく北を向いて歩いたのだ。
幸い北の星は動かないからまっすぐあるけば正しい道を道なりに歩くことができた。
ただいつの間にかそれもどうでもよくなってしまい、私は空を見上げなくなったのだ。
雨上がりの空は雲ひとつない素晴らしい空。
消えた星の残像が見えるような気がしたけれどもうその星がどこにあるか調べる術も忘れてしまった。
昔は、探さずとも目についたのに。
あの星は、どこを探しても見つからない。
了
書きたいことがいろいろ消化不良、ていうかスランプというやつでしょうか、いやもともとへたくそが何言ってんだファックというところでしょうが、なんか後年のしばちゅーのことが書きたいなと思って書きました。
孔明が死んで、無双のしばちゅーに年相応の落ち着き(笑)がでてきたら孔明との関係って素晴らしく素敵になると思いました。年寄りが昔の友人を思ってさびしがる、そんな司馬諸もすき。
そうだったかと言えば私の前では呆けたふりはしなくて結構ですよと皮肉を言われた。この息子も言うようになった。
「私が小さい頃は、あれが天狼星だとか、一年中北を指し続ける星の話だとか、いろいろ教えて下さったじゃありませんか。」
そういえばそうだったかと言えば、今度は少しさびしそうな顔で息子は笑うばかりだった。
本当に呆けてしまったのかもしれない、空に見える星の数は昔よりずっと少なく見えたし、何がどれだったか思い出すことができなかった。
どうしてだろうと空の端から端を眺めると、そうだ標がなくなったのだと気づいた。
私は星を見るときに、一つの星を中心に、他の星がどこにあるか把握していたのだけれど、その星はもう落ちてしまったので私はほとんど星を見ることが出来なくなってしまっていたのだ。
困ったことにそれは私にとって北を指し続ける道しるべのあの星よりずっと大事で、たとえ正しい方角へ進めなくともその星を追いかけて追いかけて見知らぬ土地で息絶えるのならそれはそれでいいとも思っていたのに、その星は瞬きするほどの速さで流れて消えて、広い荒野に私はひとり、取り残されてしまった。
もうすぐ冬が来る、そんな日に私は行く当てを失くし、仕方なく北を向いて歩いたのだ。
幸い北の星は動かないからまっすぐあるけば正しい道を道なりに歩くことができた。
ただいつの間にかそれもどうでもよくなってしまい、私は空を見上げなくなったのだ。
雨上がりの空は雲ひとつない素晴らしい空。
消えた星の残像が見えるような気がしたけれどもうその星がどこにあるか調べる術も忘れてしまった。
昔は、探さずとも目についたのに。
あの星は、どこを探しても見つからない。
了
書きたいことがいろいろ消化不良、ていうかスランプというやつでしょうか、いやもともとへたくそが何言ってんだファックというところでしょうが、なんか後年のしばちゅーのことが書きたいなと思って書きました。
孔明が死んで、無双のしばちゅーに年相応の落ち着き(笑)がでてきたら孔明との関係って素晴らしく素敵になると思いました。年寄りが昔の友人を思ってさびしがる、そんな司馬諸もすき。
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